連載Vol.1.実家の手伝いがきっかけで薬局経営に乗り出す  狭間研至先生 (医師 / ファルメディコ株式会社代表取締役社長)

連載Vol.1.実家の手伝いがきっかけで薬局経営に乗り出す  狭間研至先生 (医師 / ファルメディコ株式会社代表取締役社長)

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実家の手伝いがきっかけで薬局経営に乗り出す

狭間研至先生 (医師 / ファルメディコ株式会社代表取締役社長)

実家の手伝いがきっかけで薬局経営に乗り出す

池田
本日はよろしくお願いいたします。まずは、外科医から薬局を経営されることになった経緯をお聞かせください。
狭間
1995年に大阪大学医学部を卒業して国家試験に合格し、外科医の道を歩み始めました。病棟担当医として忙しい日々を過ごしていた頃、もともと薬局を経営していた実家の母が調剤薬局を始めたんです。順調に店も4店舗に増えたある日、母から電話がありました。「肺が真っ白になるのはどういうことか?」という患者さんからの質問に薬剤師が答えられず、僕に連絡してきたのです。そこで説明しに薬局まで行ったのですが、話し始めてみてびっくりしました。薬剤師さんたちは身体の仕組みや病気の知識がほとんどなく、説明してもちんぷんかんぷんなのです。
僕は、あることを思い出しました。医薬分業の流れが進み、阪大病院も全面的に院外処方になった時に、患者さんに薬局で薬をもらうよう伝えると、すごく不安だと言われたことがありまして…。心臓外科の手術をした患者さんでした。その時は、「ちゃんと勉強して国家資格を持った人たちだから大丈夫」と返事をしたのですが、なるほど、その患者さんの気持ちもわからないではない…と。
当時、僕は胸部外科にいて、いろいろな薬を使っていました。僕が出した処方箋を病院外の薬局の人から受け取ると思うと、不安に思う患者さんもいるだろう、これをなんとかしないといけない。そこで母とも話をして、薬剤師さんたちにPOS形式の記録のとり方や、現場で必要な医学的知識などを教えに行くようになったのです。
狭間研至先生
池田
大学院で研究をされていて、医師として働きながら、薬局で教えていらした?
狭間
はい。2001年から3年間、月2回くらい教えていました。この3年間は親孝行のつもりでした。両親は医者ではありませんし、僕の勉強や教育のためにずいぶん尽くしてくれたので恩返しをしようと。薬局経営の道に進もうと決断したのは2004年です。実はアメリカの大学へ留学する予定だったんですが。

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狭間 研至(はざま・けんじ)
プロフィール
ファルメディコ株式会社代表取締役社長、医師、医学博士。1969年大阪生まれ。1995年大阪大学医学部を卒業後、大阪大学医学部付属病院、大阪府立病院(現 大阪府立急性期・総合医療センター)、宝塚市立病院にて外科・呼吸器外科診療に従事。2000年大阪大学大学院入学、異種移植をテーマとした研究・臨床を行う。2004年より薬局経営に従事。現在は医師として診療を行いながら、一般社団法人日本在宅薬学会の理事長として薬剤師生涯教育や薬学教育に携わるなど、新しい医療環境の実現に向け幅広い活動を行う。著書に『薬剤師3.0 地域包括ケアを支える次世代型薬剤師』(薬事日報社)、『薬剤師のためのバイタルサイン』(南山堂)など多数。

「調剤薬局ジャーナル」2019年9月号より転載

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