日本経済大学経営学部長兼同大学院教授 赤瀬氏氏

日本経済大学経営学部長兼同大学院教授 赤瀬氏氏

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4

連載Vol.1.薬の使い方ひとつで病院の経営は変わる

日本経済大学経営学部長兼同大学院教授 赤瀬氏

薬の使い方ひとつで病院の経営は変わる

池田
赤瀬先生は、多様化する社会のロールモデルとして興味深いキャリアをお持ちです。なぜ薬剤師だった先生が経営学を学ばれたのですか?
赤瀬
安定していると思われていた大学病院の経営が、思いがけず悪化した時期がありました。導入した外部コンサルタントの提案で一時的な経営改善はしましたが、それと引き換えに、職員のモチベーションは下がり退職者が増えた。これが私のトラウマになっています。再びやる気のある人を採用して育成するのは大変なコストです。このことで得られた教訓は、医療を知らない外部の業者に依存するのではなく、最初から医療従事者が経営を勉強すればいいではないかということです。
私が当時、薬剤師として担当していた血液内科病棟は、他の病棟と比較して抗生物質の使用量が多く、平均在院日数も長い診療科なので、採算性が問題視されていました。とはいえ化学療法中の患者さんを急いで退院させるわけにもいかない。処方された抗生物質から何とかしようとカルテを調べたら、面白い現象に気が付きました。治療に用いるステロイドによる胃潰瘍防止の目的で処方されていたH₂ブロッカー3種(ラニチジン、シメチジン、ファモチジン)のうち、シメチジンを服用している患者群の抗生物質の使用量が顕著に少なかったのです。その前後でしょうか、Lancet誌にシメチジンによる免疫増強作用に関する論文が掲載され、「これかもしれない」と考えました。若気の至りで血液内科のカンファレンスでこのことを報告したところ、シメチジンの処方が一気に増えました。因果関係はわかりませんが、抗生物質の処方量も下降したのを覚えています。その時、薬の使い方ひとつでコストが変わるということに気が付きました。さらには、コスト削減に限らず、在院日数の短縮や満足度の向上といった重要な経営指標にも影響を与えることが分かってきました。
それで薬剤師の介入がどれだけ病院の経営に貢献できるか検証してみたいという思いが高まって、辞職して経営学大学院を受験したのです。34歳の妻子持ちで2年間無収入は辛かったけれど、その年で学生を経験できたのは楽しい思い出になっています。
赤瀬朋秀氏
池田
熱い思いがあっての転身だったのですね。その甲斐あって、双方の視点を融合させるお仕事に携わっておられるのですね。
赤瀬
経営学大学院の指導教授から「経営難の病院で困っている院長がいるから行って助けてあげなさい」と言われ、その病院に職を得たわけです。薬剤科長として入って最初の仕事は、病院の再建計画を作り、銀行から融資を引き出すことでした。そこで、漢方で病院をブランド化しようと考え、医師を誘致し東洋医学診療を充実させました。その後、患者が増えたところで、当時は珍しかった在宅医療も始め、その病院は3年間で財務状況が上向きになりました。そういった仕事をしていたところ、別の病院立ち上げの仕事を依頼され、職場を移ったわけです。
そこも赤字で大変でしたが、同じ職場の仲間と助け合いながらなんとか黒字化に成功しました。すると今度は、経営学の大学院を立ち上げて医薬関係の専門コースをつくるから主任教授をやりなさいと言われ、それが現職になりました。大学院に移ってから、以前勤務した病院の事務長が訪ねてきてくれて、「最もつらい時期によく働いてくれました」と言ってくれたことが一番うれしかったですね。薬学と経営学は意外と相性がいいのです。

VOL.2 へ続く >>

赤瀬 朋秀(あかせ・ともひで)
プロフィール
日本経済大学経営学部長、同・大学院経営学研究科教授、博士(臨床薬学)、MBA(経営学修士)。日本大学理工学部薬学科を1989年に卒業、慶應義塾大学病院での研修を経て北里大学病院薬剤部に入局。2000年に同院を退職し、2003年に日本大学大学院でMBA、北里大学で博士号を取得。同年に社会福祉法人日本医療伝道会総合病院 衣笠病院に入り翌年から薬剤部長。2006年に済生会横浜市東部病院薬剤部マネージャー、2012年に日本経済大学大学院教授となり2016年に経営学部長に就任。明治薬科大学(客員教授)をはじめ、複数の大学で教鞭を執る。著書に『あと10年正念場の保険薬局』、『薬局経営読本』(共著)など、多数。

「調剤薬局ジャーナル」2021年1月号より転載

【 TOPページ へ 】