「そうだ、薬局へ行こう!」となる店づくりを 株式会社クラスAネットワーク会長 橋本 薫

「そうだ、薬局へ行こう!」となる店づくりを 株式会社クラスAネットワーク会長 橋本 薫

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連載Vol.1.「足を寄せる病院」の企画書を書いたのがそもそもの始まり

株式会社クラスAネットワーク会長 橋本 薫

連載Vol.1.「足を寄せる病院」の企画書を書いたのがそもそもの始まり

池田
本日はよろしくお願いいたします。橋本会長は、「健康サポート薬局」が推奨される前からクラスAネットワークを創業し、患者さんの健康をどうサポートするか、独自の取り組みをなさっていました。どんなお考えがあってのことでしょうか。
橋本
もともと私は薬局とは何の関係もないところで、プロデューサーとして広告業界で働いてきました。サントリーで開高健さんや山口瞳さんがウイスキーのCMをなさっていた頃から広告畑にいて、開高さんらが作った広告制作会社サン・アドでいろいろなモノやコトのプロデュースをしていました。
橋本薫先生
池田
存じ上げています。ハーゲンダッツのブランディングや、サンドイッチのサブウェイのフランチャイズ構築、GALA湯沢スキー場のプロデュースなどを手がけたお話は特に有名ですよね。華々しいご活躍をされていたと聞いています。
橋本
ガーラ湯沢スキー場は当時、学生が中心のスキーマーケットにしては、駅がスキー場とは言え、運賃は新幹線利用で高額なため集客が難しい、そのために施設の方向性が定まらないとJR東日本から相談されたんです。JRの幹部たちには東京から運賃が1万円かかることが不利なこととしか捉えられていなかった。しかし発想を変えれば「たった1万円で、新幹線でゆっくりシートに座っているうちに着く」わけで、「何時間も車の運転やバスに揺られてぐったり」よりも、ずっと楽なんですよ。「たったの1万円」と思う人たち、その人たちに向けたスキー場を作ることになりました。こういう考え方、最終顧客・利用者を常に見て彼らのベネフィットから逆算してものを見るという進め方は、今も昔も私の基本的な考え方です。
話を戻すと、バブルが崩壊し、日本経済が低迷し始めたとき、父が病気になって国立第二医療センター(現 東京医療センター)に入院しました。当時の病室の環境も良くなかったけれど、父が家に帰りたがって……。それはどうしてだろうと考えると、娑婆が病院にないからだと思い当たりました。だったら病院に娑婆を引き寄せればいい。そう思って、誰に出す宛てもない企画書「足を寄せる病院」というのを書き上げた。人が寄りつく病院にするにはどうしたらいいかと、自分なりのアイデアを綴ってね。
しかし、当時は医療関係者の知り合いもいない。それで知人に見せていたわけです。そうこうしているうちに調剤薬局経営者と知り合い、その後、医療フォーラムを主催していく中で厚労省や財務省の人からも話を聞きました。そうすると、調剤薬局がこのままじゃまずいのじゃないかと思いはじめ、アイデアが薬局経営のほうにシフトしていった。つまり、薬局の価値を高めるにはどうしたらいいか、ということを真剣に考えるようになりました。今から15年前のことです。

VOL.2 へ続く >>

橋本 薫(はしもと・かおる)
プロフィール
1949年生まれ。1975年武蔵野美術大学産業デザイン学部卒業。1990年株式会社サン・アド取締役企画開発本部長を経て、2004年に株式会社エムエフディ、2006年に株式会社クラスAネットワークを設立。これまでに、『ハーゲンダッツ』『カールスバーグ』、『ニューズウィーク』のブランド構築、『サブウェイ』サンドイッチのFCシステム構築、JR東日本の『GALA湯沢スキー場』、JR西日本の大阪駅『ギャレ大阪』プロデュース、昭和大学病院・順天堂医院などの緑化プログラム等を手がけた。現クラスAネットワークならびにエムエフディ会長。武蔵野美術大学講師も務める。

「調剤薬局ジャーナル」2020年3月号より転載

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